自閉の国からやってきたお姫様
母として・専門職として

私は和歌山で放課後等デイサービスと相談支援の事業をしているsun・riseの代表理事です。
私の娘は自閉症スペクトラム障害です。自閉の国からやってきたお姫様が、地球に定住して2025年1月に40歳の誕生日を迎えました。お姫様はかなり人間らしくなりました。その重みを感じ、重度なのになんでこんなにいろいろできるのかとお世話になる精神科の先生に言われました。
私自身自閉という星からやってきた姫との格闘にエネルギー使ったと思います。人間らしくなって情を交せるようになりました。
20歳の時に振袖を着せて以来、何回か着物を着せたことはありましたが、訪問着を着せてみようと思い、着物を出してくると「お着物な!」と言い出して、自分の服を脱ぎ始めました。
「経験こそ学習」というのは姫を育てる上での私の持論です。スッと行動する姫を見ていて、積み上げてきたものは残るというのを改めて感じました。
姫の話に少しお付き合いください。

それはかわいいお姫様、お顔は桜貝色で、大きいおめ目の赤ちゃんでした。まさか自閉の国からの使者だとつゆ知らず、不思議な発達をしたのです。多くはなかったですが、言葉はありました。私のことも認識できていました。しかし忘れもしません。1歳10か月の時に、パッを走り出し、多動になりました。そこからは姫との知恵比べ、出ていかないようにするにはどうしたらいいかの格闘だったように思います。
早い時点で変だぞというのは気付いていました。母子に流れるきうすな空気は感じていました。5ヶ月ぐらいです。指差しはしない、ハイハイはしない、よく寝る、死んでいないかと覗き込んだことも何度もありました。体は柔らかく、しゃんとしない。「この子歩くのが遅いかも」と1歳の時に病院で言われました。それが障害の世界への序章だったのです。
3人目を出産して実家に帰っていました。その際にもまだハイハイをしていた姫がむくと立ち上がり、歩き始めたのです。それで安心したのですが、問題は何も解決していませんでした。歩けるようになった姫は、好奇心の塊、カギを開けてでも外へ出ていく始末、右を見て左を見るともういないという感じでした。
名前を呼びながら、追いかけることは何度もあり、言葉が耳を通さず、頭の上を超えているのがわかりました。とにかく前へ回って捕まえ、抱き上げて家に帰りました。裸足で大きな声で追いかけている絵を想像してください。若かったなと改めて今思います。事故になると思って必死でした。踵のないスリッパをはいて追いかけられないので、急いで外へ出た時には、追いかけている間に、脱いで裸足で走ったのを覚えています。後でスリッパは取りに行きました。
必死だった。何を考えているか、何を思って家を出ていくのかと思い、下の子を背負って姫の行動を理解しようと努めました。最初は何も考えずに走り回っていた姫が、行ったことのある場所へ行くようになりました。探すのもあてもなく探す状態から、行ったことがあるところと絞れるようになりました。このころは何度も警察のご厄介になりました。
「自閉症」は児童相談所で言われましたが、そんな決定権誰にあるのか、何とかしてみせると考えたのもこの頃です。母子通所にも通いましたが、このままではいけないと思いました。
「社会の育ててもらう」個別指導の必要性を感じ、自分で指導者を探しました。自分の母が公務員で、その頃はまだ特殊教育、知り合いの先生を紹介してもらいました。すぐに指導しようとなったわけではありません。押しの一手でした。
初めての指導を見たときに、これが特殊教育かと発達のポイントがあるならすべてを抑える必要があるなと感じました。言葉が消えていた姫に言葉を誘発するための魔法の言葉は「ちょうだい」でした。この先生とは2年間お世話になり、この指導から多くのことを学びました。この後転入した幼稚園で出会った先生とは一旦卒園後離れるも、その後に長くお付き合いすることになりました。
この頃自分に力が欲しいと思いました。作業療法士や精神保健福祉士等に興味を持ったのも事実です。姫の頭の中を見たいと考えました。それが何年後かの公認心理師につながります。
就学判定は「養護学校」でした。

地域の小学校も見学に行きましたが、その当時の校長先生は「この子に何ができるか」「いやできない」と言われました。地域の当たり前に行ける小学校にも行けない、細かいザルからも落ちるという現実を受け止めました。
「現実の重みをしかと胸にとめ、共に踏みだす新しき道かな」
障害受容をして養護学校を選んで、障害の世界に踏み出した心意気です。
養護学校を選択し、入学した学校の校門は動物園の檻に見えました。安全のためだとわかっていても、まだまだ気持ちがついていけてなかったのかもしれません。養護学校へ入って、取っていなかった療育手帳も取得しました。
4年生の春休みに

3年生が終了し、春休みに入るという夜に、姫はコロンとひっくり返りました。夜は歯磨きをして、普通に寝かせましたが、あくる日起きあがれませんでした。声はすれども起き上がれず、ベッドから引っ張り出し、ベッドの縁に立たせると、足の表面は何ともなっていませんでしたが、歩けませんでした。これは足の中で何かなっているなと思いました。
今は大きくて背負えませんが、その時は足が痛いのでおんぶは無理でした。背中合わせで姫を背負い診察を受けに行きました。レントゲンを撮ってもらうと、先生から「骨腫瘍」と言われ、レントゲンからこのままだと薄い骨は折れてしまう、早く手術をする必要があると言われました。この状況をどう乗り越えようと頭の中はぐるぐる回っていました。
家の近くの総合病院で手術を受けました。もちろん障害のことは伝えました。自閉症のこと姫の理解度をちゃんと伝えると、合理的配慮で術前のお部屋を借りることができ、本来なら付き添いはいらない病院ですが、付き添いをさせてももらうことできました。
術前の何も口にできない時間は、その頃に一緒に取り組んでいたシール張りや線引きマッチングなどをして過ごし乗り切りました。全身麻酔で手術は4時間かかりました。手術室から出てきたときにはボーと目が開いていました。自分の状態が受け入れられていないのがよくわかりました。右足を大きく5針、大腿骨にある腫瘍をくり抜き、骨盤から削った骨をその穴に入れていました。骨盤も5針開けていました。ギプスは右端全部、骨盤を開けているので胃を開けた背中もある腰パンツをはいた状態でした。
一晩は暴れました。隙間から手を入れて外そうとしましたが、無理だとわかると、受け入れたのです。それからは無理を言いませんでした。暇なのでシーツのひもをまえ結びに何度もしました。春先パンツをはいていないのでおねしょをすることもありました。看護師さんにシーツのひもが面倒でほどくのが大変と言われました。
1か月後・・・

1か月しレントゲンを撮るときれいに骨が巻いていました。すごい回復力だなと思いました。先生も子どもだから早いな、大人はこうはいかないと説明してくれました。今度はギプスを取るのをどうやるかいう課題が出てきました。じっと我慢できないだろうなと、全身麻酔は短期間に何度もするのは子どもには無理だと言われたので、先生に1週間時間をくださいと伝え、姫に何度も繰り返し伝えました。カウントダウンをしたのです。
当日午後整形外科の先生が5~6人上がってきました。押さえ込むためだなと思いました。電気のこぎりで切るのに、押さえ込む必要はありませんでした。何もせずに身を任せていました。ギプスは外れました。シャーレにして、包帯を巻いてありました。
朝、「お茶をもらってくるね。」と言って病室を出て、湯沸かし室にいると人の気配がするので振り帰ると、姫でした。「歩いてきたんやね。」「すごい!」と思わず声を上げました。
先生に「歩いています。」と言うと、びっくりされました。自閉の星から来たエイリアン、回復力は半端なかったです。結局2ヶ月の入院期間の予定が1か月半で退院しました。
この入院で姫は大きな成果物を得ました。我慢すること・待つこと・先を見越す力です。
大きな課題が出たときに、そのことだけに埋没するのでなく、何を得るか、落ちた穴でもがきながらも何を拾うかだと思いました。そこに大きな成長もあります。そこに喜びを感じました。
今回腫瘍は良性でした。悪性なら足を切り落とす必要があったと思います。その時声が聞こえたように思いました。「まだまだ楽にはしてあげない。あなたにはするべきことがある。」とそれが何なのかその時はわかりませんでした。誰かがいたわけでもありません。ただその意味を常に考えてきたように思います。
20年後のお姫様
- 言語の理解に深み・言葉の域が広がる
- 自主的な行動・働き掛け
- 空気を読める
- 家族の一員としての自覚 買い物の際に 家族の数を選べる
代表の想いと今
人との機微が分かち合えた時のうれしさをみんなにも感じてほしい
児童発達支援・放課後等デイサービス
管理業務をしながら、子どもとも関わり勉強も教えています。
相談支援(児童・大人)
福祉サービス利用のための計画相談をしている傍ら、いろんな親子関係・人の生きざまに触れさせてもらっています。



